ハンさんの半分

大したことは書かないブログ

優しさとは

最近、何か書いていないと気持ちが落ち着かないことがあります

 

まず、1つ目はただの報告なんですが、10月に受けた大学院試験は受かってました!

非常に喜ばしいです!

落ちてたらニートになっちゃう所でしたからね(   ´∀`)ハハハ

 

今回、何について書くか悩んだんですが……

 

「優しい」

 

とは何かについて自分なりに考えてみました

 

と言っても、大学に入る前ぐらいから考えてることです

 

僕は優しい人間になりたいと思っています

何故か?

そもそも正しい人間でありたいと願っています

そして正しさを構成するものの一つがが優しさだと思ったからであります

性善説性悪説、どちらも一理ありますが僕は性善説を信じたいです

 

幼い頃から、母には人に優しくしなさいと言われてきました

幼稚園の頃であれば、僕は比較的体の大きい子どもであったので、絶対に人は殴らないようにと言われていました

なので、幼稚園で喧嘩になったとしても僕は殴られるのを我慢していました

 

小学校に入って以降、優しくしなさいという事は言われなくなりましたが、幼い頃に言われた事は頭に残っているものですね

 

誰にでも優しくしていました

その為、小4の時には、僕のことを好き(だったらしい)女の子を泣かせてしまう事件も起きてしまいました

 

人が嫌がる事はしないように

人が喜ぶ事をするように

 

そんな風に考えていました

しかし、大学に入る直前の春休み

友達から、優しすぎるよねーと言われました

優し「すぎる」とは?

そこから、何が優しいのか分からなくなってきてしまいました

 

例えば、友達に宿題のノートを見せてあげたら、これは優しいのだろうか

見せてもらった友達はそれで宿題が出せれば嬉しい訳だから、優しいということになるのだろうか

若しくは、その友達の学ぶ機会を奪ったから優しくないとなるのか

判断が難しい

宿題を見せてもらった友達を、周りの人間を楽しやがってというマイナスな気持ちにさせてしまったら、周りの人間にとっては優しくない?

正直、わからないです

 

いくらでも、このようなパターン、例え話は出せます

しかし、出したところではっきりした答えは得られないのです

 

古くからの友人に話した所

「優しさとは違うけど、人の話を聞ける人間は良い奴だと思う」

といわれました

確かにそうかもしれないです

この話を聞いて、とあることを思い出しました

僕を入れて3人で話している時のことです

会話は基本的に1対1で行うものです

3人いると1人は余るのです

話したいけど、話せない人が出てしまうと嫌な気持ちになるはず

だって、蚊帳の外になっちゃいますからね

なので、僕は基本的に会話の聞き手に回ります

友達2人で会話をして、それを僕が聞く

その形になります

これが良いのかはわからないけれども、そうする他思い浮かばなかったのです

 

結局の所、優しさが何かは分からず、どうしたらよいものなのか悩んでいました

何をしたら優しくて、何をしたら優しくないのか

どうすれば、優しい人間になれるのか

 

悩んで月日が経ち、大学1年生の正月が来ました

 

そこで、答えにたどり着けるかもしれない言葉を聞きました

最近亡くなった祖母が発した、言葉なのですが

 

「人に優しくしてもらえたらなら、自分が優しい人間だったってことだ」

 

そうか

そうなのか

疑問も浮かびましたが、自分が優しい人間であるか判断する方法の一つなのかもしれないと思いました

 

そして、これを聞いた時、僕の周りの人々を思い浮かべ、優しい人に溢れていた事にすごく感動しました

何か人の為に意識してやったことはありませんが、僕の周りの人はみんな優しかったです

 

 

まだまだ答えにはたどり着けませんが、日々考えております

 

優しいねって言われると

そうかな?って返す様にしてます

 

長すぎるとアレなんで辞めときますね笑